自分の力で現実を掴んだ!ももたろう


 

株式会社トキラボ

 

常務取締役

 

前原りつこ氏

 

◆職業

 

 

 

看板デザイン・制作・施工

 

 

 

 

 

子供のころになりたかったものは?

 

 

 

スチュワーデス

前原りつこ

 

 

 

テレビドラマの影響と、英語がカッコよくて好きだった。

 

 

 

中学の頃は、洋楽ばかり聞いていて、特にビートルズにハマった。

 

 

 

叔父の勧めも有り、高校は県外の全寮制に入学したので、それどころではなくなった。

 

 

 

とても躾に厳しい学校で、1年生2人、2年生2人、3年生2人の6人部屋だったので、1年生の時は気が休まるときがなかった。

 

 

 

先輩に出会ったときはもちろん、追い抜くときも「お先に失礼します!」ときちんと挨拶する。

 

 

 

先輩に怒られないように、常に気を使っていたので、好きな音楽を聴く余裕はなかった。

 

 

 

高校を卒業する頃、父が亡くなり、岡山の家に戻った。

 

 

 

ブティクを経営していた母の手伝いをしたり、母の知り合いの喫茶店でアルバイト等をしていた。

 

 

 

母はとても厳しい人で、私はまるで箱入り娘のようであった。

 

 

 

その上、母は思い通りにならない事があると怒り出す。

 

 

 

22歳の頃になると、「母の箱の中から出て自由になりたい。」と強く思うようになった。

 

 

 

就職して結婚しようと決意して、一般企業に事務職として就職し結婚した。

 

 

 

26歳で娘が生まれたので会社を退職、娘が1歳になった時に、近所の会社にパートに出た。

 

 

 

一般事務かと思ったら、看板のデザインや制作の仕事だった。

 

 

 

約2年後の30歳で離婚することになり、パートから正社員になった。

 

 

 

ここでスイッチが入った!

 

 

 

親に頼らず、慰謝料も養育費も貰わず、娘を自分で育てる覚悟をした。

 

 

 

母は職業婦人なので孫の面倒を看るタイプではない。

 

 

 

それに一人の方が自由だ。

 

 

 

自由には責任が同じだけかかる。

 

 

 

それでも自由が良かった。

 

 

 

ご飯を食べていくために一所懸命に働いた。

 

 

 

昼だけでなく夜もどこかで働こうと思っていたら、丁度バブル期で看板の仕事が山のようにあった。

 

 

 

「夜働くに2つ仕事をするくらいなら、ここでがんがれば?」と社長に言われ、夕方6時に娘を保育園に迎えに行きご飯を食べさせ夜の9時に会社に戻り、朝の4時5時まで仕事をした。

 

 

 

娘が起きるまでには家に帰りたかった。

 

 

 

そこで少し休んで朝ご飯を食べさせて保育園へ、朝の9時からまた会社で働いていた。

 

 

 

寂しい思いをさせている娘に、せめて食事だけは手造りのものを食べさせたかった。

 

 

 

食事の時間だけが唯一娘とのコミュニケーションを取れる時間だった。

 

 

 

毎日の睡眠時間は平均で2~3時間。

 

 

 

日曜日だって寝てない。

 

 

 

娘との時間を大切にした。

 

 

 

この生活を10年以上続けた。

 

 

 

血尿も出ていたが、何しろ自分で決めた道!辛くなかった。

 

 

 

というより辛いと思う余裕がなかった。

 

 

 

今思い出しても「本当にがんばってたもん!」と言える。

 

 

 

ただ娘と約束した時間に帰れたことはあまりなく、いつも「ごめんね。ごめんね。」と思っていた。

 

 

 

随分寂しい思いをさせてしまったが、本当に感謝、あの子がいてくれたから私ががんばれたのだと思う。

 

 

 

教育も、あまりかかわってやることはできなかったが、娘が「やりたい。」といったことを否定したことはない。

 

 

 

ただし、「途中やめは無しだよ。」と約束する。

 

 

 

ただ一度だけ、「やめとき。」と喉まで出かかったことがある。

 

 

 

中国の南京大学に留学したいといった時だ。

 

 

 

「やめとき。」がでかかって飲み込み、やっとの思いで出た言葉が「なんで?」だった。

 

 

 

中国語が勉強したいという。

 

 

 

今度は「学年の途中やめはなしだよ。」と話し、応援することにした。

 

 

 

入学して1年、また次の年がんばれると決意して1年と積み重ねて娘は大学を卒業した。

 

 

 

今は結婚して孫も生まれ、近くに住んでいるが娘には頭が上がらない。

 

 

 

何でもかんでもカッコつけず正直に生きていればいいと思う。

 

 

 

私に見栄なんかない。

 

 

 

そして手放すことが大事。

 

 

 

「例えば、事故で飛行機から脱出するとき、勿体ないからって手荷物を持って出たらあかんでしょ。」

 

あれと同じ。

 

 

 

覚悟して手放せば、自然と必要なものが入ってくる。

 

 

 

 

 

毎日欠かさずしていることは?

 

 

 

仏壇に手を合わせる。

 

 

 

毎日、朝と晩にお水とお茶とおにぎりをお供えし、般若心経を唱える。

 

 

 

朝は「いってくるわ。」、帰ってきてから「一日楽しかったわ。」と報告する。

 

 

 

5年前、「おじいさんが心配している。」と言われ、仏壇に手を合わせる事を教わった。

 

 

 

それが本当かどうかはわからないが、ご先祖様を大事にするのはいい事だと思い始めた。

 

 

 

 

 

人生に影響を与えた言葉は?

 

 

 

1、「自分が選んだ道だもの。」

 

 

 

芙美子著「放浪記」に出てくる言葉。

 

 

 

「そうだ!そうだ!」と思った。

 

 

 

どんなことが起きても絶対に人のせいにはしなかった。

 

 

 

自分で決めた道だから。

 

 

 

 

 

2、「明日のメシより今日のメシ」

 

 

 

1日1日が勝負!

 

 

 

1日1日を積み重ねていると手に入る。

 

 

 

夢なんてフワフワしたことを言うな。

 

 

 

目の前のことをしろ!

 

 

 

車や家は夢じゃない、自分で手に入れるものだ。

 

 

 

ただ、自分から何かが欲しいと思った事はない。

 

 

 

本当にご縁があっての事、1日1日を積み重ねていることで、今の生活ができていると思っている。

 

 

 

 

 

人生の転機は?いつ、どんなことでしたか?

 

1、離婚したとき

 



 

2、会社を設立したとき

 

パートから始めた会社が傾いたとき。

 

今から8年前、リーマンショックの後、仕事がなくなり会社が危なくなった。

 

経理も見ていたので、明らかに危ないことはわかった。

 

結局、当時の営業課長と共に別会社を立ち上げた。

 

本来なら私が社長を引き受けるべきところだが、前会社の保証人になっていたため、営業課長だった土岐さんに社長になってもらった。

 

家を担保にした保証人だったが、新しい会社に何か悪影響があっては困る。

 

中国に留学中の娘にも電話して事情を話し、家を手放す覚悟もした。

 

全ての事情を銀行にも話し、前会社が借り入れをしている銀行を新しい会社のメインバンクとした。

 

現実に正直に向き合い、捨て身で一所懸命やろうと決めたら、いろんな人に助けられた。

 

 

 

人生で影響を受けた人物、本は?

 

 

 

人:九州の資材屋の社長

 

 

 

新しい会社でも取引を継続していただくため、お願いに伺うと社長は快くOKしてくれた。

 

 

 

この時、「社員の生活を守る事が社長としての一番の責任。」と言われ、経営者として社員に対する考え方等を教わった。

 

 

 

今後、何か起きて相談するとしたら、この社長にまず話したいが、相談しなくても済むように毎日がんばらねばと思う。

 

 

 

とても感謝している。

 

 

 

本:論語や歴史ものを読む

 

 

 

特に陰で活躍した人や、自分の地元を一生懸命守った人の話が好き。

 

 

 

伊達 政宗、柴田 勝家などは、偏ったビジネス書を読むよりよっぽどいい。

 

 

 

徳川家康など長く続いた例は別にしても、天下人になる人はほとんど運だと思っている。

 

 

 

 

 

問題障害は?いつ、どんなことでしかた?

 

 

 

パートから始めた会社が傾いたとき。

 

 

 

経営に参加していた以上責任がある。

 

 

 

一所懸命やっていただけにショックだった。

 

 

 

「今まで何をしていたんだ。」と反省もした。

 

 

 

人生は障害物競走。

 

 

 

そうはいっても苦労した覚えがない。

 

 

 

しかし楽しいと思ったこともない。

 

 

 

余裕がなかった。

 

 

 

ただ常に前向きであった。

 

 

 

だから若い人には「悩むな!働け!」という。

 

 

 

また、「会社の為に」とか「お客様のために」とか言うなという。

 

 

 

自分のこともおぼつかないのに、そんなことできるわけがない。

 

 

 

また、「どこかで覚えたての自分でもよくわかってない言葉を使うな。」といっている。

 

 

 

知識は自分を守ることもあるが、武器にもなる。

 

 

 

武器は相手を攻撃する。

 

 

 

知識の「知」は、口から出た言葉や矢にもなる。

 

 

 

敵をつくることになりかねない。

 

 

 

更に初心を忘れない。

 

 

 

会社に入るとき、会社を自分で見つけて「働かせてください。」とお願いした訳だし、経営者側も「働いてください。」とお願いした。

 

 

 

「お互いにお願いしたもの同士という関係を忘れるな。」と思う。

 

 

 

幸せは自分でつかみ取るもの。

 

 

 

会社が与えてくれるわけじゃない。

 

 

 

特に、今の会社の初期メンバーは経営者も同じ。

 

 

 

お給料が出なくてもいいと覚悟してやってきたのだから。

 

 

 

会社がお給料をくれるのではなく、自分でつかみ取っているのだ。

 

 

 

 

 

これからの夢や希望は?

 

 

 

夢という言葉は大キライ。

 

 

 

夢じゃない!現実をつかめ!自分の力で!

 

 

 

今日一日の事が出来ないで夢を語るな。

 

 

 

今を生きろ!」と思う。

 

 

 

ただ、会社を継続していくという目標はある。

 

 

 

お給料が上がることはあっても、下がることをしてはダメ。

 

 

 

最低でも今までをキープする。

 

 

 

社員の皆が自分の目標を実現させてほしい。

 

 

 

自分にかかわる人、会社にかかわる人が幸せになってくれればいい。

 

 

 

いつだって幸せと思える自分でいたい。

 

 

 

株式会社トキラボ

 

http://www.tokilabo.jp/