発想の転換を図ったももたろう! 勝部公平氏


里山建部 「森の育て親・建部」

連絡協議会 事務局長

 

たけべ新聞

編集長

勝部公平氏

勝部公平

◆職業

 

団体役員

 

 

◆子供のころになりたかったものは?

 

中学校の頃の夢ですが、南米パラグアイに移住したいと思った。

 

男ばかりの5人兄弟の次男として、岩手県の酪農家に育った私は、広大な牧場に憧れ、南米パラグアイのパンパ草原で牛や羊を放牧したいと思っていました。

 

当時は、成功を夢見てブラジルに渡る人が大勢おりまして、親戚の中にも南米で成功した人がいたので、影響を受けたのだと思う。

 

実家は酪農・山林・稲作をやっていて、約60町歩(6万㎡)の山林と3町歩(3千㎡)の田んぼを所有しておりました。

 

母親は牛の世話などでとても忙しくて、子育てや家事は祖母が多くやってくれました、男の子ばかりが5人もいて大変だったことと思う。

 

自然豊かな田舎での生活からは多くのことを学ぶことができました

 

飼っている羊が草を食べるのはいいが、根っこまで食べてしまうので、多くなり過ぎると翌年の草が生えなくなってしまう。

 

羊がたくさん生まれた年は、家で殺して、逆さに吊るして血を抜き、皮を剥いでジンギスカンにして食べたりしました。

 

ただし、屠殺するときも食べる時も一生懸命育てた家畜の命に感謝しながらいただいたものです。

 

このような体験が、後の人生で役に立ちました。

 

建部に来て、親子キャンプで、子供たちに生きた鶏をさばいて見せたことがありました。

 

さばく前に皆でお祈りした後、首を落とし、血抜きをして、おなかを切りひらいて子供たちに体の中を教えるのですが、保護者から大ブーイングでした。

 

「野蛮だ」「虐待につながる」などです。

 

しかし子供たちは、「玉子ができる過程がはじめてわかった」、「砂肝は本当にざらざらしている」など夏休みの日記には感動したことをほとんど書いてくれました。

 

人間は他の動物の命をいただいて生活がなりたっていることを教え体験させることがいつからなくなってしまったんでしょうかねー。

 

本当の愛情はこのような現実を直視させることも大事ではないでしょうか、この現実から目を背けて、スーパーでパックされた鶏肉を何事もなかったかのように平気で食べるのは、逆に恐ろしい事のように思いますよ。

 

だから、子が親を殺し、親が子供を殺す事件が多発する時代になったのではないでしょうか

 

命があること、刺せば死んでしまう事、日常に生き物の命をいただいている事等をきちんと理解しなければいけないと思っています。

 

高校生の頃になると、南米移住ことは忘れてしまったかのように現実を考えた。

 

兄は跡取りだが、次男の私は将来家を出なければならない。

 

兄は東京農大に進学し、私は特に何かなりたいものがなかったが大学に進学し、旅行会社の添乗員などをして全国をあちこちにいき、今では、47都道府県全部に行きました。

 

当時は、ペットボトルのお茶はなく、専用の容器にティーバッグを入れ熱湯を注いでお茶を用意したものです。

 

途中の停車駅で熱湯を積み込むのだが、間に合わないときなどは窓を開けて入り込んだこともあり、どれも楽しい思い出ですねー。

 

卒業後は東京に残り、スーパーに就職した。

 

ここでは、お店での販売、商品の仕入れバイヤー、広告チラシづくり、店舗開発や店長等、色んなことを経験した。

 

いろいろな経験が後の人生にも大いに役立ちました。

 

そんな中、結婚し子供を5人授かったが、次女が重度の障害児だったので妻はとても大変だった。

 

当時私は会社人間の典型で、妻の気持ちをくみ取ることが出来なかったことをいまでも悔やんでおります。

 

私が35歳の頃、妻の故郷近くに良い施設があるということを先輩から紹介され、建部知用にあるUAゼンセン中央教育センター「友愛の丘」で働かないかとお誘いがあり、岡山県の建部に引っ越してきました。

 

 

◆毎日欠かさずしていることは?

朝早く起きて、新聞を読むことですかねー。

 

 

◆人生に影響を与えた言葉は?

 

○「運命は変えることは出来ないが、人生は切り開くことが出来る。」

これは、人生は前向きに、プラス志向が大事だという経験から得た言葉です。

 

○「最も強い者が生き残るのではなく、 最も賢い者が生き延びるのでもない。 唯一生き残るのは、変化できる者である。」

これは、進化論で有名はダーウィンの言葉ですが、大転換のこの時代最も大事なことではないでしょうか。

 

○「自由には責任が伴い、平等には区別が伴う。また博愛には厳罰が伴う」

京都大学名誉教授で哲学者:

西田幾太郎氏の言葉ですが、昨今は無責任で自己中の自由がはこびっているように思えてならない。

自由な現代人は他人のせいにばかりしている。

自己責任を忘れない社会でありたい。

平等がゆがんでいるように思う。

差別はいけないが区別は必要です、自由競争や区別まで否定する平等観はおかしいと思います。

ここでいう博愛は、たくましく世の中を生き抜くためもっとも厳しい体験をさせることが大事だと考えます。

ライオンは自分の子供を谷底に突き落としながらも生きていくすべを教える、うわべだけの愛情や甘やかしは本当の愛情と言えるのでしょうか。

 

 

◆人生の転機は?いつ、どんなことでしたか?

 

いろいろありました。

 

今までは、いくら儲けたらいいかしか考えてこなかったのに、岡山に来て初めて教育事業に関わった時は毎日が不安の連続でした

 

それから20数年前、ヨーロッパに派遣されドイツの友人と一杯やった時のことです、彼は「日本人もドイツ人も世界で最も勤勉な民族といわれておりますが、たった一つ違うことがあります。

 

私たちは、自分の自由な時間を最も大事にします。

 

働く時間をできるだけ短くして、たった一度しかない人生を愛する家族や自分の生きがいのために使いたいのです」と言うのです。

 

長期休暇をバカンスというが、バカンスの語源はバキューム、真空という意味です。頭が真空状態になるほど、仕事から離れる期間があってこそリフレッシュされ生産性が上がると考えるわけです。

 

自分のライフスタイル中心にものごとを発想する。これからの生き方のキーワードではないでしょうか。

 

また、全国重症心身障害児を守る会での活動、特に中国ブロック事務局長を引き受け、最も弱い子供たちの安心とは何かを考えさせられた。

 

それから、親の会の仲間と成年後見のためのNPO法人を立ち上げ、障害児の親が先に亡くなった場合、後見人がいなくなってしまっては困るので、法人のNPOが後見人として子供たちの生涯を安心できるようにしていったことです。

 

 

◆人生で影響を受けた人物、本は?

 

司馬遼太郎著「竜馬が行く」が好き、息子に「竜太朗」と名を付けたほどです。

 

坂本竜馬は、発想力が柔軟で時代を見る目があり、薩摩藩と長州藩を取りまとめたように人をまとめる力があるからです。

 

 

◆問題障害は?いつ、どんなことでしかた?

 

東京から建部に来たときは、一瞬、都落ちした気分になった。

 

最大のピンチと思ったが、ピンチはチャンス!人口減少の田舎にはチャンスがたくさんある。

 

周囲には豊かな自然がいっぱいある。

 

発想の転換が大事ですよ。

 

建部町に来て、地域の活性化に取り組んだ。

 

60歳で、現UAゼンセンを辞めて、里山づくりに携わった。

 

里山建部をつくる前、建部町富沢の藤田地区にある12軒のグループ「藤田カンパニー」で飲み会や茶話会をしていたのが始まりだ。

 

飲み会や茶話会代がないなら稼ごうと、しし汁をつくってイベントに参加したりしていた。

 

ここでのカンパニーは会社ではなくご近所さんや「仲間たち」という意味。

 

そんな時、地域活性化の情報が岡山県から入って、町づくりネットワーク、たけべ米グループ、岡山県キャンプ協会等色んな団体が集まって「森の育て親・建部」連絡協議会を発足、里山づくりを始めた。

 

補助金もあったが、役員からのカンパ等で、山の木を切って椎茸の原木をつくったり、山をブルドーザーで削ってロープクライミングをつくったり、炭焼き小屋をつくったりした。

 

平成27年には岡山県から、地域住民やNPOなどが行政と連携して取り組む模範的な活動を表彰する「生き活き岡山大賞」を受賞した。

 

里山の他にもキャンプ協会を設立したり、色んな団体に携わっている。

 

なぜ、地域の取り組みに力を注いでいるかと考えると血筋といえばそうかも知れない、祖父も父も時代の変化をよくみて対応してきた人でした。

 

妻からは、「お父さんは、のほほんとプラス思考でいいわねー」と言われる。

 

失敗したこともいっぱいあるが、人生の肥やしになっている。

 

 

◆これからの夢や希望は?

 

これから75歳までの後5年間は、精一杯いろんなことをやろうと思っている。

 

75歳になると後期高齢者になるので外向きの事は少なくし、自分の家をベースに、好きなことをやって終末期を迎えられたら幸せと思っています。

 

里山建部 「森の育て親・建部」連絡協議会

http://satoyama-takebe.jimdo.com/

 

たけべ新聞

http://www.geocities.jp/parksidegallerie/